新聞掲載「昔の道具博物館」、そのうらばなし

なかてぃヨーコ

2015年02月24日 08:47

先週2月19日、小学校の授業参観で「昔の道具博物館」を作ったようすが、
新聞に掲載されました。
http://www.asahi.com/articles/ASH2M55ZLH2MPTJB00S.html

自分の小屋に保管されていた道具で子どもたちが博物館を作るというので、
家主のご主人とおばあちゃんをご招待したのですが、欠席されるとのこと。

残念だなあと思っていたら、当日の朝、
おばあちゃんがお隣のおばあちゃんと一緒に来てくださると聞いて送迎に。

新聞掲載のことお伝えしたら、喜んでおられると聞いて、
昨日、琵琶湖博物館で聞き書きをやっている若いO学芸員といっしょに、
拡大コピーした新聞をお渡ししに行ってきました。

これから、おばあちゃんのお話を聞く機会をつくることになりそうです。
(はしかけグループ「暮らしをつづる会」の活動で)

× × ×

新聞記事には、まったく小屋の解体のことなど書かれていないので、
この機会に、この授業にいたるまでのうらばなしを記しておこうかなと。

●●● 「昔の道具博物館」のうらばなし ●●●

博物館をつくることを決めたのは、3年生の先生方。

授業に何度か行ったとき、
「来週の授業参観で昔の道具博物館を作ることにしました。
子どもたちがみんな学芸員になって。子どもたちもとても乗り気なんです。」
と先生にいきなり言われ、

「博物館を作るなら、本気でやりましょう!」と提案。

自分が調べてみたい道具を見つけよう。

まずは、道具のクリーニング。ほこりだらけの道具を掃除をしながら、
墨書や焼印、使用痕を探し、どんな材料でどんな風に作ってあるのか、
どんな風に使っていたのか想像する。

そして、調べ学習。その道具を実際に使っていた古写真も用意しました。

展示場所は3年生の二つの教室を使うとのことだったので、
機織り機と船の櫓は、重くて場所をとるので、実物でなく写真で展示しましょう
とお願いしました。

すると、若い男の先生が
「実物の子と写真の子がいるのは絶対に避けたい。
ぼくが運ぶので、すべて実物でやらせてほしい」
先生の主張も、子どもたちのためなのです。

道具にとっても、人にとっても、安全な方法をずいぶん話し合って、
結局、広い場所を確保して、すべて実物を使って・・・ということに決定。
(体育館が使えることに!)


でも、仮置きしている三階の空き教室から別棟二階の体育館へ、
運搬だけでもたいへんなのに、

博物館の看板設置、体育館の床面の養生、展示コーナーの設営
(長椅子で演示台を作り、布をかけて道具を展示。解説パネルの設置)、
そして、子どもたちの発表の練習。

これを4時間目に行い、5時間目の授業参観が終わったらすぐに撤収。

ほんとにできるんやろか・・・

と思っていたら、
当日は、はじめましての方2人を含む、4人の応援が来てくれました。

欠席すると聞いていた、家主のおばあちゃんが
突然、お隣のおばあちゃんと一緒に来てくださることになり、
私は送迎係。


体育館の入り口に掲げられた「昔の道具博物館」の看板の下を入ると、
場内ぐるりと、12の道具の展示コーナーが並び、
各コーナーで、担当の子ども学芸員の発表。

おばあちゃんたちと一緒に、
ひとつひとつ、学芸員たちの立派な説明を聞きながら、
おかあさん方に、博物館づくりの裏話をお伝えする。
子どもたちとおばあちゃんとおかあさん方と
たしかに、心が通い合い、ふるえあった、そんなひと時。

一時間だけのにわか博物館だったのですが、
終了後、3年生の先生方、今日たまたま集った4人の方々と
ほんとうにやれてよかったなぁと言葉を掛け合えました。

正直、この4人の方がいらっしゃらなかったら、博物館は作れませんでした。
ほんとに感謝しています。

●●● 小学校へ昔の道具を運び込み、授業するまでの・うらばなし ●●●

草津市の解体される小屋の中に保管されていた、たくさんの昔の道具。
小屋も道具も、とても状態がよいのに、
どちらもこのままつぶされて廃棄される・・・と聞いて、
道具だけでも助けられないかと、地元の小学校に一時保管の相談に行きました。

私は学芸員時代、草津市内を対象に小学校に保管されている民具を調べていて、
(「学校に眠る民具を照らす会」※という活動で)

・この小学校には昔の道具がないこと
(お隣の小学校にこの学校の民具があった。学校移転のときに移されたらしい)
・この小学校は、昔のくらしの学習に熱心であること
(三年前に、博物館の道具持参で授業をしに来たことがある。
http://lbmmukashi.shiga-saku.net/e745779.html)


ということがわかっていました。
ちょうど1月2月は3年生の昔のくらし学習の時期なので、
持ち込んだ民具を使って授業もさせてもらう提案もしようと思ったのです。

すると、この学校の3年生の先生方、
琵琶湖博物館から昔の道具を借りてきたところで、
これから授業をどうしようかと考えていたところだった!そうで、大喜び。

話し合いの場には学校に眠る民具を照らす会の方も来て、
私も熱心に話をするし、
校長先生は道具の一時受け入れを承諾するしかない・・・という状況でした。

その翌日にさっそく小屋の見学に来てくれた方々と小学校へ運び込みました。

高機・糸車・綿繰り機、張り板、藍染木綿の反物、綿入れ半纏
赤ちゃんふご(わら製)、和船の櫓・舵、農具(フミスキ、牛の首木)
信楽焼の壺(近江八景・矢橋帰帆、草津から見た風景は珍しい)
俵編み機(片足がない)、むしろ、下駄、木桶、お櫃・・・

そして、その週に、子どもたちと民具たちの最初の出会いの授業をしました。

とにかく、先生方も熱心で、子どもたちも意欲的で、
私の提案を容れて、先生方も年度末、子どもたちに最高の機会を作ってやりたい
と更なる提案をされる。気が付いたら、そのあと4日も授業に行ってました。

× × ×

若い女の先生、私と昨年度、博物館の生活実験工房で会ってたんだそうです。
そこで「子どもたちにかまどご飯を炊く体験をさせてやりたいなあ」と投げかけたら、
「やりましょう。いつでも協力しますよ」と私が言ったんだそうです。
それで、新年度、3年生の担任になってまもなく、
琵琶湖博物館に電話して相談したら、そんなことはできませんと断られたんだそうです。

もし、そのとき私につながっていたら、かまどご飯は炊けたかもしれないけど、
今回の授業はできなかったでしょう。

そんなこともあって、私は、この先生の熱意にできる限り応えようと思ったのです。

そして、熱心な3年生の先生方の意欲にのせられて、
これらを使った授業を1/30、2/9・12・17に行い、
2/19の授業参観には「昔の道具博物館」をつくることになったのでした。
(授業には、のべ10名の方にご協力いただきました)

なんだか、偶然の積み重ねなんだけど、
すべてが組み合って、予想外の素晴らしい出来事が起こっているなあと。

人生ばんざーいと叫びたい気分です。

※学校に眠る民具をてらす会
 はしかけグループ「近江昔くらし倶楽部」の活動として2013年夏発足。
小学校の空き教室に追いやられている民具のクリーニング、分類別の配架、
写真撮影・目録づくりを行い、そのデータを草津市(文化財保護課)で保管。
ふるさと絵屏風づくりや学校の授業、高齢者の回想法などに役立てよう
というもの。すでに三つの小学校で終了しました。
新聞やテレビ・ラジオの取材も受けて、ブレイクしそうなところで私が退職。
Kさんが仲間を増やしながら続けておられ、今回協力いただきました。


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