(中編)よりつづく。
先日、小学校3年生に行った出張授業のときのお話です。
× × ×
授業を終えて、後日、子どもたちに宛てて、こんな手紙を送りました。
・道具の声を聞こうと心をかたむけても聞こえないときはあります(私でも)。
だから、聞こえなくてもがっかりしないでください。
・道具の声は「耳」で聞くのではありません。
「心で感じる」ものです。ふっと、言葉が心にわいてきます。
・水道も電気も便利な道具もない昔のご先祖さまは、
周りにあるものの声を聞きながら、すべてのものが無理なく無駄なく
活かせるようにと、くらしてきました。
・自分のまわりのものの声を聞いてみようとすることは
とても大事ですてきなことだと私は思います。
× × ×
この授業の話を連れ合いにしたとき、
彼は、「よかったね。「知る」ことより「感じる」ことだ大事だからね。」と
答えてくれました。
知ることは、感じることの半分も重要ではない。
『沈黙の春』を著したレイチェル・カーソンは、
著書『センス・オブ・ワンダー』の中でこう語ったそうです。
「知る」ことは、「感じる」ことを阻害する。
わからないからこそ、感じとろうとするのであって、
生半可に知識があるとわかった気になり、
ほんとうに大事なことに気づけなくなってしまう。
今の激動の時代、自分の身の回りで何が起こっているのか。
「専門家」から提供される情報に頼りきったり、
「以前は」とか「ふつうは」とか「一般には」とか「常識では」と
頭につけて思い込んでいたことは、
一度、すべて捨て去り、
自分の五感をフルに使って真実を感じとろうとすることが、
これから生き残っていくために大事なことだと確信しています。
ですから、
全国で行われる小学校3年生の「昔のくらし」の授業が、
「道具の声を聞こうとする」感性を自ら掘り起こすきっかけになれば、
これからの日本の行く末に一筋の光が見えてくるのではないか!
さらに、
この感性は、民具だけでなく、昆虫・植物、化石や岩石・・・
いろんな資料・標本と向き合って育てることができるはず。
とすれば、
全国の「博物館」が、収蔵資料を活用して、
公教育と連携して、
「知る」よりも「感じる」力を育てる機会を作ることができれば
日本の将来に確実に光がさしこんでくるのはないか!
と、妄想がふくらんできました。
こんな気づきを与えてくれるきっかけをくれた同僚に、
そして、「昔の道具の声を聞いてみよう」という授業を受け入れてくださった
小学校の先生方・子どもたちに、改めて感謝感謝です。