2015年12月11日
びわ湖高島・野鍛冶復活プロジェクト、始動~!
先週末、琵琶湖畔でのあっこさんのカタカムナ合宿を終えて、
自分の「飛脚」としてのミッションに気づかされ、
あっこさんより「地球自治会長」を拝命いただきました、なかてぃ小野容子です。
そうかあ、私、「飛脚」だったのね・・・と気づいた途端、
私が大きく人生を変えるきっかけを与えてくれた、
朽木・針畑の「ちゃみの森」が取り壊されることになり、
ちゃみさんとご主人がお別れにきた、その翌日、
三重・伊賀のニューちゃみの森へ、朽木の郁美さんに連れられて、
滋賀ご卒業・感謝状を手渡してきた・・・という、よどみのない流れ。
#さよなら ありがとう。ちゃみの森。。。<ちゃみさんのブログ記事>
「潜象」が「現象」する・自然の理・神意を感じました。
さて、前置きが長くなりましたが、
このたび、高島市新旭町熊野本の「小島兄弟(ケーテー)工場」にて、
「びわ湖高島・野鍛冶復活プロジェクト」が始動しました~!
https://www.facebook.com/takashima.nokaji/
次回、年内最後の作業日は、12月21日、10時半~、です。
持ち主の小島さんと、亀岡で野鍛冶復興されている堀田さんの心が響きあって、
湖西で最後まで野鍛冶仕事していた建物を残して、一年限りで野鍛冶仕事を復活させることになりました。
たくさんの方々のいろんな想いを響き合わせて、一年限りの野鍛冶の復活活動を記録します。
日本各地に残る手仕事を次代へ伝えていく、その一つの活動を記録し、各地の活動を引き起こし応援したいという想いです。
どうぞ興味のあるみなさん、一緒にやりましょう。
応援・想いを送ってくださるだけでも力になります。
クラウドファンディングも近日中に立ち上げる予定で、若者たちが準備しています。
<追記>準備できました。14日正午より2/26まで、こちらにて協賛金・募集中~!
びわ湖高島・最後の野鍛冶屋を復興し、地域に鉄の打つ音を響かせたい!
以下、今までの活動記録、私のfacebook記事より、紹介しておきます。
<未編集のままでしつれい~>
<2015年11月18日:野鍛冶建物見学会>
滋賀県内で、農具の修理ができる「野鍛冶」を復活させることは、私のひそかな夢でした。
3年ほど前に、それにふさわしい鍛冶屋建物に出会い、持ち主の方も、
お父さまが鍛冶仕事をし、自分も思い出のつまる建物を
うまく残すことができたらという想いをお持ちでした。
でも、そのときに私には何もできなくて、
建物の前の「熊野本」の交差点を通るたびに「ああ、まだ残ってる」と安堵するだけ。
そんな中、今年4月、
京都・亀岡で実際に鉄を打っている鍛冶屋さん、
そこを残そうと尽力されている方々に出会い、
思わず、その場で、携帯電話に残っていた番号に電話したら、
鍛冶屋建物の持ち主の方とつながって
「お久しぶりですね」とあいさつして、
「亀岡で実際に今でも鉄を打っている方がいるんです。いま、そこでその作業見せてもらってるんですよ。滋賀に鍛冶屋さんの建物が残ってるって言ったら、火入れを手伝いに来てくれるそうです。あの建物で、ぜひもう一度、鍛冶仕事をやりましょう!」
と、興奮気味に伝えました。
持ち主の方もいきなりで迷惑だっただろうに、
反対もせず、私の想いをだまって受けてくださいました。
なのに、その後も、実際、何の行動も起こせてなかったんです。
すると、先日、持ち主の方から「来月、取り壊す」と連絡がありました。
「屋根の瓦が落ちそうになっているので、雪の降る前に、
取り壊すことにしました。その前に、記録にきてください」
そこで、亀岡の方々にも来てもらえる日を調整して、昨日、ご縁ある方が、5名集いました。
すると、奇跡が起きました。
亀岡の野鍛冶復活の立役者の堀田さんの口から出た言葉、
「屋根の応急処置をしたら、一年、この建物の取り壊しを待ってもらえませんか。その間に、ここで火入れして、鍛冶仕事をして、槌の音を響かせて、人々の記憶と記録を残せます。」
に応じて、持ち主さんが承諾してくださり、
「私も残せるものなら、残したいのです」と。
そして、その言葉に応じて、その場に集った方々の中で、
雪が降る前に、屋根の応急処理を終え、
年内に、残っている道具の調査・目録づくりと、建物内の掃除・整備を終えて、仮の火入れまで行おう!
と、目標が定まりました。
さっそく、
今週末21日、朝7時半~、屋根の応急処理のできる方に見て頂き、
来週26日、13時~、掃除と道具の調査をし、
12月3日、10時半~、亀岡の方々に来ていただき、建物内の掃除・整備を本格的に行います。
同時並行で、屋根の応急処理のための作業も進めていきます。
ぜひ、興味のある方、一緒にやりましょう!
想いを送ってくださるだけでも、力になります。有難いです!
<2015年11月26日:作業初日>
昨日は、高島・野鍛冶復活プロジェクト、作業初日。
またまた、ミラクルが起きまくりました。
初日は片づけで終わりだなぁと思っていたのに、なぜか作業がトントンと進み、
なんと、
30年ぶりに、火床に火を入れ、コークスの炎が上がり、
鉄を打つ音を響かせることができたんです!
そして、その火をつけている最中、
たまたま通りかかった校外学習からの帰り道の
小学生たちを招いて、見学してもらえました。
さらに、この鍛冶屋の正式名称が、 昭和31年の墨書きの帳面から、
「(農具専門)小島兄弟(ケーテー)工場」だったことがわかり、
屋号の「カネコ」(「┐」の中に「小」)のマークとともに、看板をつくることになりました!
京都・亀岡で野鍛冶を支える力強いメンバーお二人に加え、
地元・高島で手仕事を支える若者、鍛冶仕事されるご夫妻、
県外でむらおこし経験のある若者などなど、
さらに、鍛冶建物の持ち主の方も含め、15名が集い、
お互いにおしゃべりしながら、 一人ひとりができることを響き合わせたひと時。
作業終了後、O&Nさんで、今後の話をする中で、
「高島・野鍛冶プロジェクト」として、クラウドファンディングを立ち上げて、
たくさんの方々の想いと力を合わせて響かせながら、
一年間、日本の手仕事を残す活動を続け、
なにか、農具を実際に完成させて、
(すき焼きの語源となった農具「スキ」がいいかなぁ)
その様子を、映像と文章で記録・編集したものを残そう!
という話に、盛り上がってきました。
この活動にも、しっかりと火がついたようです。
次は、12月3日、10時半~15時、
高島市新旭町、熊野本交差点近くの「小島兄弟工場」で、
建物の片づけ、火入れ、道具類の調査・記録作業を行います。
このプロジェクトに関わりたい方、ぜひ、お越しくださいね。
<2015年12月3日>
・・・facebookのグループページに写真入りでたくさん記録されてます~
<2015年12月7日>
自分の「飛脚」としてのミッションに気づかされ、
あっこさんより「地球自治会長」を拝命いただきました、なかてぃ小野容子です。
そうかあ、私、「飛脚」だったのね・・・と気づいた途端、
私が大きく人生を変えるきっかけを与えてくれた、
朽木・針畑の「ちゃみの森」が取り壊されることになり、
ちゃみさんとご主人がお別れにきた、その翌日、
三重・伊賀のニューちゃみの森へ、朽木の郁美さんに連れられて、
滋賀ご卒業・感謝状を手渡してきた・・・という、よどみのない流れ。
#さよなら ありがとう。ちゃみの森。。。<ちゃみさんのブログ記事>
「潜象」が「現象」する・自然の理・神意を感じました。
さて、前置きが長くなりましたが、
このたび、高島市新旭町熊野本の「小島兄弟(ケーテー)工場」にて、
「びわ湖高島・野鍛冶復活プロジェクト」が始動しました~!
https://www.facebook.com/takashima.nokaji/
次回、年内最後の作業日は、12月21日、10時半~、です。
持ち主の小島さんと、亀岡で野鍛冶復興されている堀田さんの心が響きあって、
湖西で最後まで野鍛冶仕事していた建物を残して、一年限りで野鍛冶仕事を復活させることになりました。
たくさんの方々のいろんな想いを響き合わせて、一年限りの野鍛冶の復活活動を記録します。
日本各地に残る手仕事を次代へ伝えていく、その一つの活動を記録し、各地の活動を引き起こし応援したいという想いです。
どうぞ興味のあるみなさん、一緒にやりましょう。
応援・想いを送ってくださるだけでも力になります。
クラウドファンディングも近日中に立ち上げる予定で、若者たちが準備しています。
<追記>準備できました。14日正午より2/26まで、こちらにて協賛金・募集中~!
びわ湖高島・最後の野鍛冶屋を復興し、地域に鉄の打つ音を響かせたい!
以下、今までの活動記録、私のfacebook記事より、紹介しておきます。
<未編集のままでしつれい~>
<2015年11月18日:野鍛冶建物見学会>
滋賀県内で、農具の修理ができる「野鍛冶」を復活させることは、私のひそかな夢でした。
3年ほど前に、それにふさわしい鍛冶屋建物に出会い、持ち主の方も、
お父さまが鍛冶仕事をし、自分も思い出のつまる建物を
うまく残すことができたらという想いをお持ちでした。
でも、そのときに私には何もできなくて、
建物の前の「熊野本」の交差点を通るたびに「ああ、まだ残ってる」と安堵するだけ。
そんな中、今年4月、
京都・亀岡で実際に鉄を打っている鍛冶屋さん、
そこを残そうと尽力されている方々に出会い、
思わず、その場で、携帯電話に残っていた番号に電話したら、
鍛冶屋建物の持ち主の方とつながって
「お久しぶりですね」とあいさつして、
「亀岡で実際に今でも鉄を打っている方がいるんです。いま、そこでその作業見せてもらってるんですよ。滋賀に鍛冶屋さんの建物が残ってるって言ったら、火入れを手伝いに来てくれるそうです。あの建物で、ぜひもう一度、鍛冶仕事をやりましょう!」
と、興奮気味に伝えました。
持ち主の方もいきなりで迷惑だっただろうに、
反対もせず、私の想いをだまって受けてくださいました。
なのに、その後も、実際、何の行動も起こせてなかったんです。
すると、先日、持ち主の方から「来月、取り壊す」と連絡がありました。
「屋根の瓦が落ちそうになっているので、雪の降る前に、
取り壊すことにしました。その前に、記録にきてください」
そこで、亀岡の方々にも来てもらえる日を調整して、昨日、ご縁ある方が、5名集いました。
すると、奇跡が起きました。
亀岡の野鍛冶復活の立役者の堀田さんの口から出た言葉、
「屋根の応急処置をしたら、一年、この建物の取り壊しを待ってもらえませんか。その間に、ここで火入れして、鍛冶仕事をして、槌の音を響かせて、人々の記憶と記録を残せます。」
に応じて、持ち主さんが承諾してくださり、
「私も残せるものなら、残したいのです」と。
そして、その言葉に応じて、その場に集った方々の中で、
雪が降る前に、屋根の応急処理を終え、
年内に、残っている道具の調査・目録づくりと、建物内の掃除・整備を終えて、仮の火入れまで行おう!
と、目標が定まりました。
さっそく、
今週末21日、朝7時半~、屋根の応急処理のできる方に見て頂き、
来週26日、13時~、掃除と道具の調査をし、
12月3日、10時半~、亀岡の方々に来ていただき、建物内の掃除・整備を本格的に行います。
同時並行で、屋根の応急処理のための作業も進めていきます。
ぜひ、興味のある方、一緒にやりましょう!
想いを送ってくださるだけでも、力になります。有難いです!
<2015年11月26日:作業初日>
昨日は、高島・野鍛冶復活プロジェクト、作業初日。
またまた、ミラクルが起きまくりました。
初日は片づけで終わりだなぁと思っていたのに、なぜか作業がトントンと進み、
なんと、
30年ぶりに、火床に火を入れ、コークスの炎が上がり、
鉄を打つ音を響かせることができたんです!
そして、その火をつけている最中、
たまたま通りかかった校外学習からの帰り道の
小学生たちを招いて、見学してもらえました。
さらに、この鍛冶屋の正式名称が、 昭和31年の墨書きの帳面から、
「(農具専門)小島兄弟(ケーテー)工場」だったことがわかり、
屋号の「カネコ」(「┐」の中に「小」)のマークとともに、看板をつくることになりました!
京都・亀岡で野鍛冶を支える力強いメンバーお二人に加え、
地元・高島で手仕事を支える若者、鍛冶仕事されるご夫妻、
県外でむらおこし経験のある若者などなど、
さらに、鍛冶建物の持ち主の方も含め、15名が集い、
お互いにおしゃべりしながら、 一人ひとりができることを響き合わせたひと時。
作業終了後、O&Nさんで、今後の話をする中で、
「高島・野鍛冶プロジェクト」として、クラウドファンディングを立ち上げて、
たくさんの方々の想いと力を合わせて響かせながら、
一年間、日本の手仕事を残す活動を続け、
なにか、農具を実際に完成させて、
(すき焼きの語源となった農具「スキ」がいいかなぁ)
その様子を、映像と文章で記録・編集したものを残そう!
という話に、盛り上がってきました。
この活動にも、しっかりと火がついたようです。
次は、12月3日、10時半~15時、
高島市新旭町、熊野本交差点近くの「小島兄弟工場」で、
建物の片づけ、火入れ、道具類の調査・記録作業を行います。
このプロジェクトに関わりたい方、ぜひ、お越しくださいね。
<2015年12月3日>
・・・facebookのグループページに写真入りでたくさん記録されてます~
<2015年12月7日>