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Posted by 滋賀咲くブログ at

2024年01月09日

2024年、令和六年、甲辰の年が明けました

地震・津波、火事、通り魔・・・、事故・事件が多発する年明け、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

被害に遭われた方々、お見舞い申し上げるとともに、
少しでも安らかに、乗り越えられますよう、お祈りいたします。

いつ我が身に起きても不思議ではない。
身が引き締まるとともに、無事の有り難さを痛感させられました。

一日一日、一瞬一瞬、いま、できることに力を注ぎ、
楽しく、笑顔でいられることに、心を向けようと思います。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。



初日の出と富士山

この年末年始は、夫の実家、山梨に帰省しました。

例年通り、年末は、お義父さん・お義母さん指揮の下、お餅つき。
鏡餅(オスワリ)、のし餅、豆餅の三臼、つきました。

のし餅を、のす作業すべてを、今回初めて、夫の弟さんが担当。
(いつもはお義父さん)
夫の弟さん一家と、果樹園の跡取りの甥っ子、山梨で働く次男も参加し、
末娘と、ほど近い年齢の甥っ子、姪っ子、三人のちびっこも、
弟さんに支えてもらいながら杵を振るう姿を、
お義父さんが目を細めながら、温かく見守ってくださってました。

大晦日の夜は、夫の双子の弟さん一家も集い、
(末の社会人の甥っ子二人だけ。その上の甥っ子は祝・ご入籍)
子どもの部(3歳〜30歳位)と、大人の部に分かれて恒例のすき焼き。

お正月の朝は、恒例のお屠蘇の乾杯。おせち料理とうどん・そば。
(お雑煮は2日の朝ですが、今年は1日に滋賀に帰りました)

昨年、小学校教員で絵本作家の叔父さま(お義母さんの弟さん)が
天に還られたのですが、お正月らしく新年を迎えられて、

1日の昼過ぎに、
お義父さんにたくさんのお餅、手作りのお野菜、白菜の漬物、切干大根、
お義母さんにお手製の干柿を持たせて頂いて、帰路に着きました。

中部横断自動車道を南下し、新東名周りで滋賀を目指してドライブ中、
緊急地震速報がなりました。

滋賀の守山の家で待っていた長男と合流し、無事を確認し、

翌日、葛川の集落の新年会に参加した夫も無事を確認。

昨日、今シーズン初の本格的積雪がありましたが、
守山から葛川の古民家に帰ってきて、
今日から、小学校の新学期が始まりました。

ありふれた年末年始のできごと、今回は、あえて文字に残してみました。



これからは、なにごとも「当たり前」と流さず、大切に味わっていきます。

そして、自分らしさを認めて、相手らしさも認めて、

助け、助けられながら、ともに安心して暮らしていける、

そんな環境を整えていくために、

私が笑顔でできることを、広く、たくさん、楽しく届けていきます。

ご縁ある方、ご一緒いたしましょう!  

Posted by なかてぃヨーコ at 18:40Comments(0)ごあいさつ・近況年賀状

2024年01月03日

学芸員時代の業績をまとめてみました

<2021年1月下旬のこと>

大津市葛川から京都市花背学区に引っ越してきて、
今日初めて、予定なく、一日を家で過ごしました。

この一週間は、
水道凍結、小中学校・保育所断水(小中学校2日休校・保育所通常保育)、
「花背を紹介!ちまきプロジェクト」のオンラインミーティング、
小正月(どんど焼き)、そしてたぬきの糸車(1年生国語)の授業のオファー、
そして、ばなな先生の自分科講師オンライン講座の修了、という流れの中、

「自分が、いま、何を意図して、人生を歩んでいるのか」
の答えが、つーと、降りてきて、突きつけられ、再認識させられた、

そんな、深い、啓示的な一週間でした。

昨年9月から、花背の森のほいくしょで保育士として働き始めて、
宝物のような毎日を過ごしてきて、
なんの不満もなく、これから先もこんな日々が続いたらいいな、
と漠然と思ってましたが、

私が、18年間、博物館学芸員として取り組んできたことは、
なくなったわけでも、忘れたわけでもなく、
いまも、そしてこれからも、人生を懸けて取り組んでいくことなのだ、
と気づかされました。
]
花背に来て、「ようちゃん」と呼ばれるようになり、
ばなな先生の講座の中でも、そう呼んでもらっていたのですが、

最終回、彼が、前の呼び名「なかてぃ」を連呼し、
「なかてぃは、現代版の「講」を復元する人」、と結んでくれました。

なんだか、とてもしっくりきて、定まった感じがします。


そんなタイミングで、一日、自由な時間ができて、
気づいたら、学芸員時代の自分の業績の集成を始めました。]
]
琵琶湖博物館では、毎年度、
個々の研究者の、研究・事業(交流・展示・資料整備、広報など)の成果をまとめた
『業績目録』を出版していて、

その自分の分だけの抜粋したものを作ろうと、思っていたのですが、
今日、始めたら、できてしまいました。

以下に、ファイルをアップしておきます。

<と、ここまで記して、ファイルはアップできず>  

2024年01月03日

学芸員のお仕事(民具の受け入れ) 2005年07月21日04:00

「古いものを処分するので博物館で引き取ってくれませんか」
という問い合わせがときどきくる。
この対応は私の担当。
今日は2件も続けてきて、どちらもいつもとは違った雰囲気のものだった。

民具の受け入れは、地元優先、一括収蔵の原則がある。(と私は思う)
できるだけ使われていた場所に近い地元で受け入れるべき。
自宅で残せなければ、その地域の学校や公民館、それでだめなら地元の博物館、だめならさらに遠くの博物館。
また、できるだけ一緒に使われていたものは同じところで一括して受け入れるべき。
ばらばらにあちこちに散逸してしまうのはその民具の価値を薄めてしまう。

1件目は、ご自宅でやっていた昔の鍛冶屋さんで使っていた材料は要らないかというご夫人からの問い合わせ。
すでにあちこちの博物館に寄贈した残りだという。
できたら地元の受け入れ先に一括収蔵されてはと説明しようとすると、実はこの方、古い道具類を集めていたが、2、3年前から急に道具の声が聞こえるようになり、怖くなって受入先を探しているというのだ。ずいぶんあちこちの博物館に問い合わせ、多くのものを受け入れてもらった様子。博物館の担当者による考え方や対応の違いに心を傷めることもあったらしい。
で、その材料は、ぜひうちにと言われるのである。なんだか、理屈でなく、その人とモノに会わなくてはならない気がして、来週、会う約束をした。

2件目は、30年程前に自分が使っていた投網は要らないかという男性からの問い合わせ。
天然素材で作ったもので柿渋を塗って手入れし、まだまだ使える状態だという。
私は”ぜひ使っていただいて、魚とりの技を子どもたちに伝えられたらいいですね。(うちで収蔵すると永久保存資料となって使うことができなくなってしまう)”と言いつつ、地元優先の原則を説明した。
すると地元の水産センターに問い合わせてみるとのこと。
電話を一旦切ると、ほどなく折り返し電話があり、”水産センターで展示させてもらいたいと言われ渡してきた”と明るい男性の声。
「それはよかったですね。これから夏休みに入って、センターは子どもたちでにぎわうでしょうから、たくさんの人に見てもらえて、投網も喜ぶことでしょうね。わざわざうれしいご報告をしてくださり、本当にありがとうございました。」と答えることができた。

この仕事に就いて10年。
正直言って、こんなにスピーディーに素敵な結末を迎えることは初めてでは。
軽いおどろきとともに、久々に仕事をしていて爽快な気分を味わった。

1件目の今後の顛末もちょっと楽しみだ。  

Posted by なかてぃヨーコ at 15:22Comments(0)mixi日記(2005~2013)