2024年01月03日
実家から帰ってきました 2006年02月19日20:54
おお~、つかれた。
さきほど、息子二人と車で実家から帰ってきました。
途中、下の息子が、じいちゃんところへ戻る!と数十分ほど号泣したときは、本当に切れそうでしたが、なんとか家に辿り着いてホッとしています。(ほんとに、子育ては、想念観察の訓練になります。)
実は、年末に帰省したときに、実家に環境調和カードを設置しました。
このカードは空間の波動を高めるためのもので、その波動に調和するとそこに身をおく人の状態も変わると言われるものです。
このせいかどうかは分かりませんが、
今回、父も母も、ずいぶんと変わっていました。
とにかく、会うと、いつもののしりあいの喧嘩になってしまう関係なのですが、(下の子を産んで里帰りしたときにどうしても耐えられなくて、生後3週間の子どもを抱えて新幹線で滋賀に帰ってきたことがあるくらい)
いやあ、2時間くらいは、楽しく談笑しながらご飯を食べました。
とくに、父は、自分の人生を歩もうとする意志が表れはじめてました。
うちの両親は、いつも子どものため、子どものためで自分を犠牲にした結果、子どもが思いどおりにならないと気がすまないというタイプで、それが苦しくて、私は18で家を出ました。
私は両親のその期待に100%応えようと、自分の気持ちを完全に抑制して周りの望む姿を演じつづけていました。あまりにそれが完璧だったので、20才くらいまで自分がほんとうに好きとか好きでないとかいう気持ちが理解できなかったくらいでした。
私は、とにかく親から自立したかった。
まずは親から経済的に自立しようと考え、18で大学の学生寮(月額400
円)に入り、喫茶店でアルバイトし、親の仕送りには授業料以外、手をつけませんでした。
就職はなかなか決まらなかった。
「仕事ももってないものが親に意見するな」と父に言われて、意地で、学芸員の仕事を見つけました。
就職の報告をすると「一生の伴侶をもってないものが意見するな」と言われ、縁があって結婚しました。「子どものいないものが意見するな」と言われる前に子どもができました。
とにかく全てがこの調子で、親にとって、私は扱いにくい娘だったろうと思います。
今回の帰省は、母がストレートに「帰ってきてほしい。みんなに会いたいから」と言ってくれたことがきっかけでした。母はそんなふうに自分の正直が気持ちを私に語ることはほとんどなかったのです。
しかし、帰り際の母の言葉を聞いて、失望しました。
”電話で私と話をしたとき、私は大変つらそうだった。それで、帰ってきたら、少しでも楽をさせてあげれるし、下の息子を置いていって母が面倒をみれば、私の負担が軽くなるだろう。だから帰ってこいと言ったんだ”
ああ、あの言葉は、母の本心でなく「私のために」出た言葉だったのか。
.......私のことは、もういいのです。
父も母も、自分のために残りの人生を100%生きてほしい。
自分の望みを他人に託さないでほしい。
だから、
私は絶対に自分の子どもたちに自分の望みを押し付けたくないです。
そして、早く、私から自立してほしいと思っています。
(経済的には18才までしか面倒みないからね>息子たち)
と、こんなこと書くつもりじゃなかったけど、ま、いいか。
ちなみに、うちにも環境調和カード、設置してるんだけど、
元気になるのは、下の息子ばかりで。
壁にぞうのらくがきするし、羽毛布団カバーははさみで切るし。
ああ~。家が片付かない!!
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
コメント おね2006年02月20日 00:54
帰省お疲れ様でした^^
いまごろは、ゆっくりお休みのことと思います。
(私は昼寝しすぎて今に至る)
環境調和カード。ちょっと気になる…
うちの職場、2~3箇所ばかり置いておきたいところが。
1箇所はもちろん保健室^^;
あ~、なんだか読んでいてわかるのです。
うちの親もそうなのです。
はっきり言わない分だけ重たいというか狡猾というか。
おかげで自分の意思をはっきり言ったのが
確か…23の時でした。
親の気に入らない仕事に就こうとしていたので
「その仕事はすぐに断れ」と言われたわけです。
「これからそういう話があれば、すぐ親に言え」とまで言われ
「いいかげんにしろぉーーーーーーー!!」と
初めて親に対しブチ切れた23の春。
まあ結局、私の魂が
「この仕事じゃないんじゃね?」と
思ったらしく、今は別の仕事をしていますが
親としては相当驚いたらしいです。
ほぼ完璧にコントロールしてきたはずの娘が
いきなり反逆したのですから…。
お母さまの言葉ですが
会いたかったのは本当だと思うんですよ。
ただ、最後にいままでの「クセ」が出てしまったのでは?
きっと、環境調和は続いていきます。
それを信じていきましょう。
コメント ひややん2006年02月20日 13:02
私もおねさん同様、本当に会いたかったと思います。
親と子って、なかなか素直になれないものですよね。
親は、自分のため=子供のためというように、自分自身の夢がよく分らなくなっているのでしょうか。
うちの場合は、確かに両親が元気なころは、期待されているのが分かり、いい子を演じていましたね。
中学時代に父が病気になり、母は生きることが精いっぱいで期待どころじゃなかったと思われます。兄弟もみな必死で生きていたんじゃないかな。
でも母は、無償の愛を注いでくれたと思います。そんな、無償の愛を注げる親になりたいです。
コメント 退会したユーザー2006年02月20日 22:13
にゃかてぃさん、お疲れさまでした。
これからは、にゃかてぃさんが魂からご実家に「行きたい」と思ったときだけ行くようにすればどうかな?
そうすれば、お母様がたとえどんなことをおっしゃったとしても、にゃかてぃさんが「行きたい」から行ったのであって、お母様の思惑は関係なくなるよね
(^^)
お母様もそうだけど、にゃかてぃさんも、もっともっとご自身の魂の声を聞いて、その通りに動いていいんだよ^^
コメント
ようちゃん
ようちゃん2006年02月28日 20:21削除
亀レスでございます。
カガさんのコメントに即レスできずにそれっきりになってました。
********************
母の声を聞いて帰省したいというのは、私の魂の声です。
母は、たぶん、ほんとうに会いたかったんだと思います。
でも、いつものくせで最後に「子どものため」が出てきたんだと
思います。(おねさん、ひややんさんが言われるようにね)
親子の関係ってなかなか変えられないものですね。
私が最後に母親の発言に失望してしまったのも、
私を制御しようとする親の発言に過剰反応する悪いくせが
出たんだと思います。
カガさんの言われるように、
親の思惑に左右されず、出てきた想念はきちんと観察して流して、
自分の魂の声を聞いて、親と関わっていきたいと思います。
自分の中では、うまく整理できたと思います。
こうした機会を与えてくれて、ありがとう!!
>おねさん、ひややんさん、カガさん
さきほど、息子二人と車で実家から帰ってきました。
途中、下の息子が、じいちゃんところへ戻る!と数十分ほど号泣したときは、本当に切れそうでしたが、なんとか家に辿り着いてホッとしています。(ほんとに、子育ては、想念観察の訓練になります。)
実は、年末に帰省したときに、実家に環境調和カードを設置しました。
このカードは空間の波動を高めるためのもので、その波動に調和するとそこに身をおく人の状態も変わると言われるものです。
このせいかどうかは分かりませんが、
今回、父も母も、ずいぶんと変わっていました。
とにかく、会うと、いつもののしりあいの喧嘩になってしまう関係なのですが、(下の子を産んで里帰りしたときにどうしても耐えられなくて、生後3週間の子どもを抱えて新幹線で滋賀に帰ってきたことがあるくらい)
いやあ、2時間くらいは、楽しく談笑しながらご飯を食べました。
とくに、父は、自分の人生を歩もうとする意志が表れはじめてました。
うちの両親は、いつも子どものため、子どものためで自分を犠牲にした結果、子どもが思いどおりにならないと気がすまないというタイプで、それが苦しくて、私は18で家を出ました。
私は両親のその期待に100%応えようと、自分の気持ちを完全に抑制して周りの望む姿を演じつづけていました。あまりにそれが完璧だったので、20才くらいまで自分がほんとうに好きとか好きでないとかいう気持ちが理解できなかったくらいでした。
私は、とにかく親から自立したかった。
まずは親から経済的に自立しようと考え、18で大学の学生寮(月額400
円)に入り、喫茶店でアルバイトし、親の仕送りには授業料以外、手をつけませんでした。
就職はなかなか決まらなかった。
「仕事ももってないものが親に意見するな」と父に言われて、意地で、学芸員の仕事を見つけました。
就職の報告をすると「一生の伴侶をもってないものが意見するな」と言われ、縁があって結婚しました。「子どものいないものが意見するな」と言われる前に子どもができました。
とにかく全てがこの調子で、親にとって、私は扱いにくい娘だったろうと思います。
今回の帰省は、母がストレートに「帰ってきてほしい。みんなに会いたいから」と言ってくれたことがきっかけでした。母はそんなふうに自分の正直が気持ちを私に語ることはほとんどなかったのです。
しかし、帰り際の母の言葉を聞いて、失望しました。
”電話で私と話をしたとき、私は大変つらそうだった。それで、帰ってきたら、少しでも楽をさせてあげれるし、下の息子を置いていって母が面倒をみれば、私の負担が軽くなるだろう。だから帰ってこいと言ったんだ”
ああ、あの言葉は、母の本心でなく「私のために」出た言葉だったのか。
.......私のことは、もういいのです。
父も母も、自分のために残りの人生を100%生きてほしい。
自分の望みを他人に託さないでほしい。
だから、
私は絶対に自分の子どもたちに自分の望みを押し付けたくないです。
そして、早く、私から自立してほしいと思っています。
(経済的には18才までしか面倒みないからね>息子たち)
と、こんなこと書くつもりじゃなかったけど、ま、いいか。
ちなみに、うちにも環境調和カード、設置してるんだけど、
元気になるのは、下の息子ばかりで。
壁にぞうのらくがきするし、羽毛布団カバーははさみで切るし。
ああ~。家が片付かない!!
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
コメント おね2006年02月20日 00:54
帰省お疲れ様でした^^
いまごろは、ゆっくりお休みのことと思います。
(私は昼寝しすぎて今に至る)
環境調和カード。ちょっと気になる…
うちの職場、2~3箇所ばかり置いておきたいところが。
1箇所はもちろん保健室^^;
あ~、なんだか読んでいてわかるのです。
うちの親もそうなのです。
はっきり言わない分だけ重たいというか狡猾というか。
おかげで自分の意思をはっきり言ったのが
確か…23の時でした。
親の気に入らない仕事に就こうとしていたので
「その仕事はすぐに断れ」と言われたわけです。
「これからそういう話があれば、すぐ親に言え」とまで言われ
「いいかげんにしろぉーーーーーーー!!」と
初めて親に対しブチ切れた23の春。
まあ結局、私の魂が
「この仕事じゃないんじゃね?」と
思ったらしく、今は別の仕事をしていますが
親としては相当驚いたらしいです。
ほぼ完璧にコントロールしてきたはずの娘が
いきなり反逆したのですから…。
お母さまの言葉ですが
会いたかったのは本当だと思うんですよ。
ただ、最後にいままでの「クセ」が出てしまったのでは?
きっと、環境調和は続いていきます。
それを信じていきましょう。
コメント ひややん2006年02月20日 13:02
私もおねさん同様、本当に会いたかったと思います。
親と子って、なかなか素直になれないものですよね。
親は、自分のため=子供のためというように、自分自身の夢がよく分らなくなっているのでしょうか。
うちの場合は、確かに両親が元気なころは、期待されているのが分かり、いい子を演じていましたね。
中学時代に父が病気になり、母は生きることが精いっぱいで期待どころじゃなかったと思われます。兄弟もみな必死で生きていたんじゃないかな。
でも母は、無償の愛を注いでくれたと思います。そんな、無償の愛を注げる親になりたいです。
コメント 退会したユーザー2006年02月20日 22:13
にゃかてぃさん、お疲れさまでした。
これからは、にゃかてぃさんが魂からご実家に「行きたい」と思ったときだけ行くようにすればどうかな?
そうすれば、お母様がたとえどんなことをおっしゃったとしても、にゃかてぃさんが「行きたい」から行ったのであって、お母様の思惑は関係なくなるよね
(^^)
お母様もそうだけど、にゃかてぃさんも、もっともっとご自身の魂の声を聞いて、その通りに動いていいんだよ^^
コメント
ようちゃん
ようちゃん2006年02月28日 20:21削除
亀レスでございます。
カガさんのコメントに即レスできずにそれっきりになってました。
********************
母の声を聞いて帰省したいというのは、私の魂の声です。
母は、たぶん、ほんとうに会いたかったんだと思います。
でも、いつものくせで最後に「子どものため」が出てきたんだと
思います。(おねさん、ひややんさんが言われるようにね)
親子の関係ってなかなか変えられないものですね。
私が最後に母親の発言に失望してしまったのも、
私を制御しようとする親の発言に過剰反応する悪いくせが
出たんだと思います。
カガさんの言われるように、
親の思惑に左右されず、出てきた想念はきちんと観察して流して、
自分の魂の声を聞いて、親と関わっていきたいと思います。
自分の中では、うまく整理できたと思います。
こうした機会を与えてくれて、ありがとう!!
>おねさん、ひややんさん、カガさん
学芸員のお仕事(民具の受け入れ) 2005年07月21日04:00
レイキと出会って 2005年08月01日06:54
勇気づけられたこと 2005年08月10日04:32
レイキ3rd伝授21日目 2005年08月26日21:15
霧の晴れ間 2005年09月22日21:46
博物館での使命の探求 2005年10月07日21:20
レイキと出会って 2005年08月01日06:54
勇気づけられたこと 2005年08月10日04:32
レイキ3rd伝授21日目 2005年08月26日21:15
霧の晴れ間 2005年09月22日21:46
博物館での使命の探求 2005年10月07日21:20
Posted by なかてぃヨーコ at 15:17│Comments(0)
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