2024年01月03日

滋賀に帰ってきました(書きかけ) 2006年05月10日22:36

いやあ、いいねえ。
片付いたきれいなお家に帰ってくるのは!!
(家庭訪問直後に帰省したので.....ね。)


おばあちゃん、まだまだ生きたいようです。

今日は朝起きてから、どうもおばあちゃんの命の危機が感じられなくて、
”叔母のヒーリングをしたい”と勝手に計画を立てていました。
叔母の家を訪ねようかなと思っていたら、叔母から電話があり、一緒に病院に行くことに。

結局、朝、父に病院に連れて行ってもらい母と交代し、その後、ずーと叔母と一緒で、ヒーリングや男性性と女性性やデトックスなどを話をし続けていました。

さすがに、祖母をそっちのけで話をしていたので、2度ほど、祖母が焼きもちを焼いて?、血圧計を測定不能にしてくれましたが、私がいる間、祖母の状態はいたって落ち着いていて、昨日、冷たかった手足の暖かみも戻り、私の目には昨日より回復しているように見えました。

で、子どもを連れて、一旦滋賀へ帰ってきたというわけなのです。


この決断に至るために、ちょっとした事件がありました。

朝、病院で母と交代しようとするときのこと。

母は、叔母や私に、細かく指示を与えるのです。”この機械のこの数値がどうなったら、ナースコールをして”とか”唇が乾いたら、ここにこういう容器があるからそれに水を湿らして拭いて”とか、止まりません。

ああ、また、母の長年の癖が出てきたなあと冷静に流していたのですが、

私「(かなり自制して心を込めて優しく)母、そんなに心配なら、まだ、ここにおる?私らを信頼できんけえ、心配なんじゃろ。」

母「そんなことをようらんが」

私「いや、帰るんじゃったら、私らを信頼して気持ちよく帰れんかなあ」「.....(何かがとりついたかのように)帰れ!とっとと帰れ!!」

母「あんた、何を考えとるん」(火花)

父「お前も子ども連れて帰るんが、迷ーとるんじゃあ。」(火花)


<息子2が泣きついてきたので、とりあえずここまで>


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