2024年01月03日

午前中、仕事休む(訂正加筆) 2006年06月15日11:41

「助けを求めてやってくるいろんな人の面倒を見ることになる」6月もようやく半ば。

日記に書いた「熱意ある若者」に続き、

●「熱意あるご夫人」:県内で麻の栽培をされ、伝統行事に使う衣裳を復元しようとしている方との出会い。昨日、奈良市月ヶ瀬の奈良晒保存会に行って、一緒に麻織物の勉強をした。

●「元気な保育園児」:うちの子の通う保育園の年長/年中さんが琵琶湖でとれた川エビを持参で来館。離れで天ぷらにして食べた。展示室で飼っているお蚕さんの食べる桑の葉をつんで蚕の観察をしたり、田んぼの生き物観察をしたりした。

などもあったのだが、「そうか、これが6月、面倒を見るということか」と気づく決定的なできごとがあった。


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今日は、久々にハードな予定の入っていない日だった。
思いきって、午前中、休むことにした。

そこで、マイミクさんの日記も丁寧に読んだ。
sakuraさんのアンマ来日プログラムの報告の中で、学生時代の友人の新居で友人たち(+子ども)と出会ったことが記されていた。

”大事な人たちとの平和な時間。
こんなことが、なによりも大切なんじゃないかと、改めて思わせてくれた。”

という言葉が胸に突き刺さった。
それに、気づいているsakuraさんは偉い、魂の声をきちんと聞けている人だと感服した。

<以下、重い内容を含みますので、覚悟してごらんください。>










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この日記にも書いた、大学時代のサイクリング部のYくんからのメール。

それは、mixiで知った一つ下の後輩、Aさんの死を知らせるものだった。

彼は今、イギリスで働いている。たまたま4月にmixiでAさんのことに気づいてメールし、その後もメールのやりとりをしていたという。

ある日、Aさんのマイミクの何人かから足跡がついていて、踏み返してみたら、そこに彼女の死に関する日記が綴られていたそうだ。

そこで、Aさんのマイミクにメッセして確認し、私(と、うちの代の数名)にメールをくれたのだ。

Yくんのくれたメールには、「心の病」「突発的な死」という言葉があった。連れ合いと夜遅く話をしながら、やりきれないながらも、まずは事実を確認しなければと強く思った。

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Aさんは、明るくいつも笑顔でみんなのことを気にかけてくれる人だった。サイクリングでも、ただ走るだけでなく、大学をこえた交流も積極的に行い、ストームや芸も嫌がらず率先してやるような子だった。

現役時代に、いっしょに走った記憶はあまりないけれど、同じ文学部でもあり、少ない女子部員でもあり、地方の公立美術館に就職したこともあり、お互い、特に気にかけていた存在であった。

しかし、大学を離れてからは、ほとんど会ったことはなかった。
年賀状もいつしか返事が来なくなり、届かなくなり、ここ数年は出してもいなかった。

バイト先の喫茶店のおくさんから、いつだったか”Aさんも美術館でがんばっているけど、大変みたいねえ”と聞くことがあった。同業者としてその大変さが察せられ、心の中でエールを送っていた。


Yくんが伝えた彼女の死は、何かの誤解かもしれない。

私は、まず、彼女の職場に電話をすることにした。
もしかして、彼女が「ああ、せんぱ~い、おひさしぶりです!」と電話に出てくれるかもしれない。その声がリアルに想像できた。もしそうなったら、どうしよう。そうだ、”職場近くの博物館に行くことになったので会いたいね”ということにしよう。

そこまで、考えて、心を落ち着けて電話した。

「○○○博物館のにゃかてぃと申しますが、Aさんいらっしゃいますでしょうか?」

少し、待たされて、出てきた庶務担当の職員の口から出てきたのは
「Aは、1週間ほど前に、病気療養中、突然、亡くなりました」
という言葉だった。

..............。

古い名簿を出してきて、そこにあるご実家の電話番号にかけてみた。
つながらない。

とにかく、職場で確認した事実をYくんたちに報告しようとメールを書き、送信する前に、もう一度、電話をしてみた。

お母さまが電話に出られた。

「Aさんの大学時代のサイクリング部で一つ上だったにゃかてぃと申しますが.....」

お母さまの口から「自殺」という言葉が出てきた。

「大学時代は楽しかっただろうと思います」と何度も何度も繰り返された。

「お父さんが夏頃に偲ぶ会のようなことをしたいと、美術館の方と話をしています。」

お母さまのお声からご様子を察するに、とても電話や訪問ができそうな状態ではない。

まずは、ご実家にお手紙を書こうと思った。

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それから、改めて、お母さまのお話もいれて、事実確認のメールをYくんたちに送った。うちの代とAさんの代のメーリングリストに私が確認した事実を記したメールを送ることになった。そこには、自ら死を選んだことはふせておいた。

それでも、みなショックだったようだ。

少し落ち着いてから、Yくんは、Yくんの知る事実をメーリングリストに送ってくれた。それは、ごく最近の彼女が、信頼を寄せる先輩に送った生々しい本音だった。

毎夜、電話がなる。
Yくんのメールでショックを覚えた同期の部員たちと、そのショックを共有し、それを乗り越えようと話をする。

1時間あまりに渡る長電話の中で、ある同期の女子部員Sさんは「なんだか、にゃかてぃって、心理カウンセラーみたい」と語った。


私は、このとき気づいた。

そうか、”これが面倒をみる6月”のほんとうの意味だったのかもしれないと。
<京都の占い師のおっちゃん、おそるべし。ものすごい人です。>

今は、Aさんの墓前に供える部員からのメッセージを集め、
数日内に、ご実家に手紙を書こうと思っている。

そして、彼女の死をきっかけに、
博物館、美術館業界にある不合理の背景を整理し、うちの職場で心の病で倒れる人々がこれ以上出ないようにするために根本的に改革するための策を打ってでたいと思っている。

<Aさん、Yさんを混用していたので訂正しました。>

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<以下、6/15夜 加筆>

GHへ、マヤンカレンダー2、銀河ノートとハーブティーを買いに行った。

マヤンカレンダー2を開いて、ハッとした。

私の誕生日の kin120 黄色い電気の太陽 のテーマは、
「生命をつなぎとめる」である。

「生命をつなぎとめる」なのだ!

ああ......!!! マヤ暦ってなんて深いんだろう!


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