2024年01月03日

頼りになる息子1 2006年09月25日21:03

23日は息子1の小学校の運動会だった。
でも、私は「綿から糸をつくろう」の体験学習があったので終日、仕事。
連れ合いと息子2が行って運動会の応援をした。息子1は私が行けないことを一言も愚痴ることなく、帰ってからにこにこと頑張った様子を報告してくれた。

翌日、24日は工房の田んぼの稲刈り。
はしかけ会員の活動で申し込み制でないのでどれだけ参加するか分からない。朝、息子1に聞くと一緒に稲刈りに行きたいというので2人で行く。

結局、午前中は70代の元気なおばあちゃん会員と私と息子1、田んぼ担当の職員さんの4人で作業。私は前日の疲れもあってか、休んでばかりで全然戦力にならない。息子1は去年の稲刈りで私を上回る早さで刈っていた。今年もさらに上手になり、ほんとに助かった。

半分刈り取り、稲束を作ったところでお昼。
連れ合いに午後からヘルプコールをするも、息子2とともに微熱が出て寝ていると返事があり、諦める。

その後、お母さんと小学生の男の子2人の家族が参加してくれ、午後は、息子1と3人でカマキリ採集に夢中になったりするも、刈り取りや稲束の運搬、稲架がけを手伝ってくれ、無事、1日で終了した。

工房の軒下に稲架がけした稲束は、今ではなかなか目にすることのない光景。何人ものお客さんが写真を撮っていたのが印象的だった。

で、今日、25日は運動会の振替休日。
前日から、息子1と「二人でゆっくりしようなあ」と話していた。

が、私も相当、身体がこたえていたらしく、朝から寝たきり状態。
な~んにも、やる気がおきない。

それでもかろうじて、息子2を保育園に送り、連れ合いを駅まで送り、布団、洗濯物を干した。息子1は片づけを全部やってくれた。「お布団も干せるよ。考えがあるんだ」とも言ってくれた。でもなぜか「掃除機はかけられないんだよ」とのこと。

そして、夕方まで倒れると保育園のお迎えの時間。
息子2を迎えに行き、みんなでごはんを食べる。最後の力をふりしぼって、洗い物をする。

「みんなごめん。かあちゃんはこれで力つきて寝てもいい?明日の朝ごはん炊く準備、忘れてたら息子1できるよね。」
「はちまきのアイロン、あてなきゃ」
「あ、それはまた、元気になったらやるから」

と言い残して倒れていたら、息子1がアイロンとアイロン台を出してきて、はちまきにアイロンをあてようとしていた!!

びっくりした。

実は、アイロンがけは(暗黙のうちに)連れ合いの仕事となっている。
私は結婚してから、家では数えるほどしかアイロンがけをしたことがない。そもそも、アイロンをあてる姿を息子1が見たことなどほとんどないだろうし、アイロンのありかなんて知っているとは全く思わなかったくらいなのだ。(子どもって知らない内に見てるんですね~)


倒れていたのを飛び起きて、淡々と正しい使い方を説明した。
息子2も横で真剣な顔つきでしっかりと聞いていた。
息子1は一人ではちまきにアイロンをあて、明日学校に持って行くべく、かばんにしまっていた。
アイロンも冷めてからちゃんとしまっていた。

ほんとうに、息子1には助けられている。
小学2年生になって、急に一人で時間割りができるようになり(なぜか1年のときには時間割りどおりに教科書を準備することが全くできなかった)、家の仕事も手伝えるようになり、特に、夏休みのそろばん合宿を終えてからは、こちらが頼んだことだけでなく、何でも自分で率先してお手伝いしてくれるようになっていた。

正直なところ、最近、体調不良で動けなくなることがよくあるので、ほんとうに助かっている。我が家の秩序を崩壊する息子2をうまく操り、連れ合いがいない我が家の暮らしを支えてくれている。

子どもだと思っていた息子1も、しっかりと自分で考えて親を支えることができるようになってきているんだなあと見直した。

ほんとにありがとうね、息子1。



実は、この息子1は、ほんとうは私の子どもとして産まれてくるはずではなかった子なのだ。(スピリチュアル的にね)

本人も1年生のときに「生まれる前に友達に突きとばされて、間違えてこの家に生まれてきた」と私に語っていたし、その後、京都のおっちゃんも「(一人目の子どもは)流産されたと思ってました」と語られた。

おそらく、息子1は前世までのカルマ解消のご褒美?として授かった子であると思う。

私はなぜか10代の若いころから「(レイプされてでも)自分に授かった子はどんな状態の子どもでも産んで育てなくては」と思いつめていた。
(自分が結婚できるとも母親になれるとも思っていなかったころから)

学生時代にお世話になったバイト先や職場で子どものいないご夫婦と知り合う機会が多かったことや、五体不満足の乙武くんや脳障害があっても素敵な著作を残す日木流奈ちゃんのことなどに触れ、命の可能性の限り無さが深く心に突き刺さったことなどいろいろ関係しているのかもしれない。

前世、インドで(悪徳な)女医をしていたときに中絶の経験があったようだし、なんかしらカルマを背負っていたのだろうが、今回の人生で何かしらの克服ができた。で、そのご褒美?として息子1が授かった。

その息子1が、立派に私を助けてくれている。
はちまきに自分でアイロンをあてて....。



なんだかなあ。ほんとうに、人生って深く、面白い。

改めて、息子1を授かったことに感謝。
そして、彼とともに、これからの人生を生きていけることを喜びたい。


おっと、力つきて倒れていたはずなのに、こんなに長い日記をしたためてしまった。元気になったやんか>自分

さあ、明日もがんばろう。おやすみなさい。


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