2024年01月03日
母と電話(コメントに後日談) 2007年01月15日17:27
新年、家族4人で福山の実家から車で帰る途中、高校のときの同級生の実家に立ち寄った。
彼女は光当たる王道を胸をはって堂々と進むタイプで私の憧れの友人だった。ご実家ではご両親と旦那さん、1才余りになる娘さんも迎えてくれ、昔と変わらない心暖まるもてなしを受けた。
しかし、その「変わらない」と思っていたアットホームな平穏さは、実は1年近い慟哭の日々をへた後、ごく最近得られたものであったことを、後で友人から直接告白されて知った。
自分にできないことはないといつも自信をもっていた彼女が、自分ではどうしようもない大きな人生の闇に突然連れ込まれ、苦悩と葛藤の日々の末、ようやく得た祈りと感謝の日々が、人生に再び光を与えてくれたのだ。
彼女は万葉集を愛し、自然と一体となっていた万葉人の感性を取り戻すべきと、大和言葉の音の響き、言霊の大切さを人々と共有するための万葉の会を続けてきた。
そんな彼女が語った。
”今までは本当に言霊のことをわかってなかった。あの壁を乗り越えた今、初めて言霊の力を実感した”と。
この告白を聞いて、私は素直に共感し、喜んだ。
そして彼女に励まされるように1/7.8のSCコースを受講することを決め、8名の受講生の一人として魂の学びを行うことができた。
そして、1/10、スピ仲間と共に伊勢神宮、天の岩戸を訪れ、1/13、さぁこさんとこのマヤ暦勉強会に参加し、スピリチュアルな学び深い日々を過ごした。
-----
SCコースの最後にひいた5枚のカードが見事にバラバラで解釈不能だった。0 THE FOOL、I have Faith、Claircognzance、Anger、RIPENESS。
苦悩の末、最後ギリギリにつくったアファメーションが
「混沌をおそれず、全てを信じて、仲間と共に魂の実りを分かち合っています」だった。
その後も解釈を試みたが、すっきりしない。自分の立ち位置をごっそりと変える、今こそ、その時なのだろうと確信する。
-----
今日は、自分の中身を臨在のままに吐き出す、貴重な機会に恵まれた。
実家で自分を抑圧し切って暮らしていた18才までの自分は、ほんとうは何をしたかったのかという問いかけ。
親元を離れ、本当の自分を取り戻す日々の中、25才のとき研究室の指導教官に助けを求めたことがきっかけで、いとも簡単に人生が開けていく。
(それまで他人に助けを求めたことなど全くなかった。)
しかし、一人で苦悩していた日々にも、引き上げてくれる手は常に差し伸べられていたということに気づき、涙がこぼれる。
そして、今、自分の前に開けた道を邁進する日々。
その中で、女性性をひきあげてくれた男性性の存在への気づき。
....じっくりとじっくりと取り組むべき方向が見えてくる。
------
そう、私はずっと闇の世界にいた。
自分が真から助けを求めるそのときまで、私は表舞台に立つ人々の裏で知恵を貸す、かげの仕掛人だと思っていた。
そこから、自分ではいあがり、今、自分は光の中にいる。
何も隠すことなく、ごまかすことなく、すべてをさらして、光の中を進んで行けるように変容したのだ。
そう思っていた。
-----
ふと、何を伝えたいということもなく実家の母と話したくなり、電話をかけた。
「何か用事があるわけじゃないんじゃけど」と口火を切ると、
「同級生の○○ちゃんのお家にはちゃんと行けたん?」と問われ、それがきっかけで、母に彼女の苦悩と葛藤の日々の話をした。
すいぶん長い話だったが、何か母の魂にふれるものがあったのか、母は私の生まれたときのことを話しはじめた。
「ようこが生まれたときはほんとうにうれしかった。ようこが幸せを運んでくれたんよ。ようこは「光」じゃった。」
「(自分が)一人暮らししとったときは地獄じゃったけえ。親にも誰にもいえん、今思い出しても涙がでる日々じゃった。そうじゃったから、ようこが全てを変えてくれた。光がぱあと差し込んできたようじゃった。」
「光」という言葉を聞いて、びっくりした。
私は生まれながらにして、母にとって「光」だったのだ!
母は続ける。
「ようこは大事な宝物じゃと思って、転んだらいけん、傷つけてもいけん、そりゃあ大事に大事にして。所有物じゃったかもしれん。しつけんといけんことは親がしっかりといわんといけんと思って必死じゃった。」
「じゃけど、あんたが家を出てからは、一人立ちしょうるんじゃけえ、いらんことゆうたらいけんと気いつこうて。そりゃあ、言いたいこともだいぶん抑えて。」
「でも、子どもに遠慮してどうする。言いたいことは言わんとと思うて、言えるようになって楽になった。これは最近のことよ。」
この楽になったきっかけが、
去年、私がふと実家に電話をしたときに受けた「母からの親子絶縁宣言」だったらしい。私に対して抑えていたものを全て吐き出したのですっきりしたのだそうだ。
私は仰天して辛かったが、その後、母から大好物のままかりの南蛮漬けと心のこもった手紙が届き、そのお礼の電話をすることで、うまく和解できていた。
ああ....、そうだったのかと納得する。
母が私に押し付けていたことの背景には、私に対する深い愛情があり、理解できない、不可解な母の姿の裏には、私の知らない母の人生があったのだ。
「母にも一人暮らしの辛い日々があったんじゃねえ。」と返すと、
母は、給料の半分を親元へ仕送りし、残った給料の中から毎月貯金をし、食べたいものも食べれなかったことなどを、ぽつりぽつりと語った。
息子1が帰ってきたので電話を代わる。
最後に「また、会ってじっくり話を聞きたいわ」「そうじゃねえ」
と言葉を交わし、受話器を置いた。
----
私は、生まれながらに「黄色い電気の太陽」だったのだ!
そして、母の期待に応える存在だったのだ。
18才まで自分を抑圧し切って両親の期待に応えていた自分は、
親から抑圧されていたからそうしていたのでなく、
自分が両親の愛に応えようと、自ら選んだ生き方だったのだ!
と、今はそう思える。
さらに、私がそう気づけたのは、母が私に対する遠慮を解放したからだ。
母は、私の生き方を見て、どこかで自分を責めていたのかもしれない。
18才までの育て方に問題があったのだと。だからこそ、家を出てから遠慮して私に対して言いたいことも言えなかったのだ。
でも、母は、その自分を責める気持ちを自ら解放させ、私に本音をぶつけて「絶縁宣言」をしてくれた。
ということにも、今、気づけた。
この日記を一行一行書き進めるたびに、新しい気づきが生まれる。
そして、今、母が、とても愛おしく思える。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
コメント 退会したユーザー2007年01月15日 19:18
えっ、時間切れなの?!
続きを楽しみに待ってるわ~~
コメント Sadhika☆現状維持2007年01月16日 21:32
感動しました。
お母様からの心からの、臨在からの言葉の数々。
そしてあの吐き気を催すほどの素晴らしいエネルギーの手放し。
にゃかてぃさん最高です!
良かったね!!
コメント こもりはる2007年01月17日 17:28
ブラボーです!!
素晴らしいシェアを、本当に本当にありがとう。
生まれながらの「黄色い電気の太陽」のにゃかてぃさん、大好き。
お母さまと深く分かり合えて、本当に良かったですね。
素晴らしい日記を読ませていただいて、本当にすごく嬉しかったです。
コメント ようちゃん2007年01月19日 20:02
みなさん、ほんとにありがとうございます!
ほんとに、今回のことは我ながらワンダホーと喜んでいましたが、
後日談がありまして.....
福山から帰ってきた連れ合いにさっそく母のことを聞いてみたら、
電話のことはほとんど話してないそうで、
「お義母さんがかあちゃんのことで語っていたのは、結婚してから二人に編んであげたマフラーはどうしたんだろう。ようこのことだから、きっとしまいこんでしまって使ってないんだろう....と言っていたことだけ」
とのこと。
<はい、マフラーはしまいこんで、どこに行ったかわかりません(使う気持ちに全くなれない色柄だった記憶あり)。正直なところ、母(父もだけど)が私にくれるものは全くセンスが合わないのです。(実家にいたときは、自分の感性を殺してそのセンスに合わせて生きていたわけで.....。)でも、探し出して、どうにか使い道を考えてみようかな。>
.....やっぱり、母は私を責め、私は母に責められる。
長年のクセって、なかなか抜け出すのは難しいもんなんだ...と納得。
ということで母との魂の学びの道は険しくまだまだつづくのであった。
というオチでした。チャンチャン。
退会したユーザー2007年01月20日 10:15
あらためて、最後まで書いてくださって
ありがとうございますm(_ _)m
>親から抑圧されていたからそうしていたのでなく、
>自分が両親の愛に応えようと、自ら選んだ生き方だったのだ
うんうん
そうだったんだね^^
いろいろなことに光があたっていくんだね^^
彼女は光当たる王道を胸をはって堂々と進むタイプで私の憧れの友人だった。ご実家ではご両親と旦那さん、1才余りになる娘さんも迎えてくれ、昔と変わらない心暖まるもてなしを受けた。
しかし、その「変わらない」と思っていたアットホームな平穏さは、実は1年近い慟哭の日々をへた後、ごく最近得られたものであったことを、後で友人から直接告白されて知った。
自分にできないことはないといつも自信をもっていた彼女が、自分ではどうしようもない大きな人生の闇に突然連れ込まれ、苦悩と葛藤の日々の末、ようやく得た祈りと感謝の日々が、人生に再び光を与えてくれたのだ。
彼女は万葉集を愛し、自然と一体となっていた万葉人の感性を取り戻すべきと、大和言葉の音の響き、言霊の大切さを人々と共有するための万葉の会を続けてきた。
そんな彼女が語った。
”今までは本当に言霊のことをわかってなかった。あの壁を乗り越えた今、初めて言霊の力を実感した”と。
この告白を聞いて、私は素直に共感し、喜んだ。
そして彼女に励まされるように1/7.8のSCコースを受講することを決め、8名の受講生の一人として魂の学びを行うことができた。
そして、1/10、スピ仲間と共に伊勢神宮、天の岩戸を訪れ、1/13、さぁこさんとこのマヤ暦勉強会に参加し、スピリチュアルな学び深い日々を過ごした。
-----
SCコースの最後にひいた5枚のカードが見事にバラバラで解釈不能だった。0 THE FOOL、I have Faith、Claircognzance、Anger、RIPENESS。
苦悩の末、最後ギリギリにつくったアファメーションが
「混沌をおそれず、全てを信じて、仲間と共に魂の実りを分かち合っています」だった。
その後も解釈を試みたが、すっきりしない。自分の立ち位置をごっそりと変える、今こそ、その時なのだろうと確信する。
-----
今日は、自分の中身を臨在のままに吐き出す、貴重な機会に恵まれた。
実家で自分を抑圧し切って暮らしていた18才までの自分は、ほんとうは何をしたかったのかという問いかけ。
親元を離れ、本当の自分を取り戻す日々の中、25才のとき研究室の指導教官に助けを求めたことがきっかけで、いとも簡単に人生が開けていく。
(それまで他人に助けを求めたことなど全くなかった。)
しかし、一人で苦悩していた日々にも、引き上げてくれる手は常に差し伸べられていたということに気づき、涙がこぼれる。
そして、今、自分の前に開けた道を邁進する日々。
その中で、女性性をひきあげてくれた男性性の存在への気づき。
....じっくりとじっくりと取り組むべき方向が見えてくる。
------
そう、私はずっと闇の世界にいた。
自分が真から助けを求めるそのときまで、私は表舞台に立つ人々の裏で知恵を貸す、かげの仕掛人だと思っていた。
そこから、自分ではいあがり、今、自分は光の中にいる。
何も隠すことなく、ごまかすことなく、すべてをさらして、光の中を進んで行けるように変容したのだ。
そう思っていた。
-----
ふと、何を伝えたいということもなく実家の母と話したくなり、電話をかけた。
「何か用事があるわけじゃないんじゃけど」と口火を切ると、
「同級生の○○ちゃんのお家にはちゃんと行けたん?」と問われ、それがきっかけで、母に彼女の苦悩と葛藤の日々の話をした。
すいぶん長い話だったが、何か母の魂にふれるものがあったのか、母は私の生まれたときのことを話しはじめた。
「ようこが生まれたときはほんとうにうれしかった。ようこが幸せを運んでくれたんよ。ようこは「光」じゃった。」
「(自分が)一人暮らししとったときは地獄じゃったけえ。親にも誰にもいえん、今思い出しても涙がでる日々じゃった。そうじゃったから、ようこが全てを変えてくれた。光がぱあと差し込んできたようじゃった。」
「光」という言葉を聞いて、びっくりした。
私は生まれながらにして、母にとって「光」だったのだ!
母は続ける。
「ようこは大事な宝物じゃと思って、転んだらいけん、傷つけてもいけん、そりゃあ大事に大事にして。所有物じゃったかもしれん。しつけんといけんことは親がしっかりといわんといけんと思って必死じゃった。」
「じゃけど、あんたが家を出てからは、一人立ちしょうるんじゃけえ、いらんことゆうたらいけんと気いつこうて。そりゃあ、言いたいこともだいぶん抑えて。」
「でも、子どもに遠慮してどうする。言いたいことは言わんとと思うて、言えるようになって楽になった。これは最近のことよ。」
この楽になったきっかけが、
去年、私がふと実家に電話をしたときに受けた「母からの親子絶縁宣言」だったらしい。私に対して抑えていたものを全て吐き出したのですっきりしたのだそうだ。
私は仰天して辛かったが、その後、母から大好物のままかりの南蛮漬けと心のこもった手紙が届き、そのお礼の電話をすることで、うまく和解できていた。
ああ....、そうだったのかと納得する。
母が私に押し付けていたことの背景には、私に対する深い愛情があり、理解できない、不可解な母の姿の裏には、私の知らない母の人生があったのだ。
「母にも一人暮らしの辛い日々があったんじゃねえ。」と返すと、
母は、給料の半分を親元へ仕送りし、残った給料の中から毎月貯金をし、食べたいものも食べれなかったことなどを、ぽつりぽつりと語った。
息子1が帰ってきたので電話を代わる。
最後に「また、会ってじっくり話を聞きたいわ」「そうじゃねえ」
と言葉を交わし、受話器を置いた。
----
私は、生まれながらに「黄色い電気の太陽」だったのだ!
そして、母の期待に応える存在だったのだ。
18才まで自分を抑圧し切って両親の期待に応えていた自分は、
親から抑圧されていたからそうしていたのでなく、
自分が両親の愛に応えようと、自ら選んだ生き方だったのだ!
と、今はそう思える。
さらに、私がそう気づけたのは、母が私に対する遠慮を解放したからだ。
母は、私の生き方を見て、どこかで自分を責めていたのかもしれない。
18才までの育て方に問題があったのだと。だからこそ、家を出てから遠慮して私に対して言いたいことも言えなかったのだ。
でも、母は、その自分を責める気持ちを自ら解放させ、私に本音をぶつけて「絶縁宣言」をしてくれた。
ということにも、今、気づけた。
この日記を一行一行書き進めるたびに、新しい気づきが生まれる。
そして、今、母が、とても愛おしく思える。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
コメント 退会したユーザー2007年01月15日 19:18
えっ、時間切れなの?!
続きを楽しみに待ってるわ~~
コメント Sadhika☆現状維持2007年01月16日 21:32
感動しました。
お母様からの心からの、臨在からの言葉の数々。
そしてあの吐き気を催すほどの素晴らしいエネルギーの手放し。
にゃかてぃさん最高です!
良かったね!!
コメント こもりはる2007年01月17日 17:28
ブラボーです!!
素晴らしいシェアを、本当に本当にありがとう。
生まれながらの「黄色い電気の太陽」のにゃかてぃさん、大好き。
お母さまと深く分かり合えて、本当に良かったですね。
素晴らしい日記を読ませていただいて、本当にすごく嬉しかったです。
コメント ようちゃん2007年01月19日 20:02
みなさん、ほんとにありがとうございます!
ほんとに、今回のことは我ながらワンダホーと喜んでいましたが、
後日談がありまして.....
福山から帰ってきた連れ合いにさっそく母のことを聞いてみたら、
電話のことはほとんど話してないそうで、
「お義母さんがかあちゃんのことで語っていたのは、結婚してから二人に編んであげたマフラーはどうしたんだろう。ようこのことだから、きっとしまいこんでしまって使ってないんだろう....と言っていたことだけ」
とのこと。
<はい、マフラーはしまいこんで、どこに行ったかわかりません(使う気持ちに全くなれない色柄だった記憶あり)。正直なところ、母(父もだけど)が私にくれるものは全くセンスが合わないのです。(実家にいたときは、自分の感性を殺してそのセンスに合わせて生きていたわけで.....。)でも、探し出して、どうにか使い道を考えてみようかな。>
.....やっぱり、母は私を責め、私は母に責められる。
長年のクセって、なかなか抜け出すのは難しいもんなんだ...と納得。
ということで母との魂の学びの道は険しくまだまだつづくのであった。
というオチでした。チャンチャン。
退会したユーザー2007年01月20日 10:15
あらためて、最後まで書いてくださって
ありがとうございますm(_ _)m
>親から抑圧されていたからそうしていたのでなく、
>自分が両親の愛に応えようと、自ら選んだ生き方だったのだ
うんうん
そうだったんだね^^
いろいろなことに光があたっていくんだね^^
学芸員のお仕事(民具の受け入れ) 2005年07月21日04:00
レイキと出会って 2005年08月01日06:54
勇気づけられたこと 2005年08月10日04:32
レイキ3rd伝授21日目 2005年08月26日21:15
霧の晴れ間 2005年09月22日21:46
博物館での使命の探求 2005年10月07日21:20
レイキと出会って 2005年08月01日06:54
勇気づけられたこと 2005年08月10日04:32
レイキ3rd伝授21日目 2005年08月26日21:15
霧の晴れ間 2005年09月22日21:46
博物館での使命の探求 2005年10月07日21:20
Posted by なかてぃヨーコ at 15:01│Comments(0)
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