2015年06月16日

「森の聞き書き甲子園」勉強会に参加しました!(3)

「森の聞き書き甲子園」勉強会に参加しました!(1)
「森の聞き書き甲子園」勉強会に参加しました!(2)
からつづく

ふるさと絵屏風の考案者、上田洋平さん(滋賀県立大)が年末に案内くださった
”『森の聞き書き甲子園』勉強会&合宿 in 東近江” の講演会。

講師の、澁澤寿一さんは、

”日本の森林政策の中枢にも深くかかわられ、
高校生たちによる森林生活文化継承事業「森の聞き書き甲子園」の仕掛け人であり、
また、民俗学者宮本常一の大パトロンであった澁澤敬三氏の孫
ということはかの澁澤栄一翁の曾孫でもある
すてきな講師”です。

世界45カ国で地域支援をされ、日本中回られた澁澤さん。

東日本大震災あとの地域も、2011年5月より回られました。

その7月、地元の方が「こんなのが出てきた」と持ってこられたのが、
昭和8年7月付の「復興計画書」

この年の3月3日、2011年と同じような大津波が同じ地域を襲ったのです。

その7月には、地元住民 名と村役場職員3名の署名が入った
墨書きの「復興計画書」が、すでに完成したことに、みなは驚きました。

同じ状況での同時期の平成23年7月には、
ようやく最初の仮設住宅が完成し、入居が始まりかけたところ。
まだまだ、人々の生活は落ち着かず、復興計画などに頭が回る状況では
なかったからです。

そこには、何が書かれていたと思いますか?

仮設住宅をたてるとか、
がれきの除去をしてまちの再建をはかるとか、

・・・ちがうんです。

「一人ひとりが一丸となって相互扶助の精神を持って事に当たること」

そういう、目に見えない、意識づけを、計画書でまずは確認しているのです。

この計画書を作成した当時は、
千数百の村民は、全ての人が、お互いのことを知っていたそうです。

× × ×

ここで、私は思い出しました。

中越地震で大きな被害が出たある集落が
冬を越すための燃料代も確保できないと聞いて、
ある社長さんが100万円を寄付したという話。

集落の人達は話しあって、このまとまった資金でお宮さんを再建することに
したそうです。

それを聞いて、社長さんはあきれるやら。
そんなことのために寄付したんじゃない!と。

でも、集落の人のためには、我がことよりも村人の心のよりどころとなる
お宮さんの方が大事なのです。それがあれば、そこにみんなが集まって、
祭りをすることもできるのだと。



みんなで再建しようと気持ちが一つになることも、大事。

そうやって、その土地に住む、
ご先祖さまたちも生き続けてきたんだという信頼感・安心感からの決断
なんでしょうね。


そう、
ひとは、自分・今の家族だけのために生きているんじゃない。

先代から譲られたものを受け継ぎ、
それを活かして、与えられた人生を生き抜き、
次代へそれを受け継いていく。

一番大事なことは、
目に見えることでもなく、お金で手に入れられることでもない。

昭和の復興計画書から、改めて、それを学びました。


今、手にできる知恵と技と人々のつながりの力で、
自然の理にかなう、無理のない
新しい暮らし方を、どう作っていくか。


私は、まさに、いま、そのことに、静かに日々挑戦し続けているのです。



・・・というのが、今年の初め、私が地域再生の「肝」に気づかされ、
いのちの泉の栓が開くきっかけとなった、できごとです。

あれから半年、

つい先日、福井の敦賀・美浜・勝山で地球暦のお話し会ツアーに行って、
美浜・納屋カフェで、じょんさんに出会い(私、オノ・ヨーコが!)、
居合わせた方々と響き合いのときを過ごし、

帰り道、「朽木の技と知恵の発見・復活事業」の打ち合わせを終えて、

半年前の心持とはまったくちがう自分の在り方に気づかされ、

これから、私が羽ばたく新しいステージが待っている予感がします~!


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Posted by なかてぃヨーコ at 13:17│Comments(0)森の聞き書き2015
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